お前も死ぬぞ (毎田周一)
■これは今年の報恩講に合わせての浄願寺の掲示板の言葉です。何とも、どぎつい響きですよね。
■私にとりまして、ここ一年、多くの方とのお別れが統きました。本当に寂しい思いで一杯です…。
■お葬式の後、わが相撲町では、還骨から満中院(四十九日)まで、人間の無常観を説く、蓮如上人の白骨の御文を毎日、拝読するという伝統があります。(湖北は全体的にそのようです)
■それはまさに「お前も死ぬぞ」という、この一点を湖北の先輩方は、しっかりと聞き続けてこられたのだと思います。
■「お前も死ぬぞ」と呼びかけられているにもかかわらず、目先の欲望や損得に振り回されて、肝腎の「今」を空過している私の生き方が、大切な人の死から、今、問われています。
●午後二時からの初逮夜のお勤めの後、親鸞聖人の生涯が綴られた御伝抄拝読と進んでいきました。
↑上巻は澤面宣了(当寺住職)です。
↑下巻は樋上聡さん(前東本願寺)です。
●午前六時からの晨朝のお勤めの後、澤面章氏(当寺前住職)の御文拝読、越本達了さん(大阪 専光寺住職)の前座法話、黒田進先生(宮司町 満立寺住職)の法話と進んでいきました。
↑澤面章氏の御文拝読です。
↑越本達了さんからのひと言です。
わかる、わからんよりもその言葉の響きを大切にしたい。
↑黒田進先生からのひと言です。
私がこうして手を合わせていることがなんと不思議なことか。
●午前九時半からの日中のお勤めの後、澤面真世氏(当寺坊守)の御文拝読、高山崇さん(山階町 円乗寺住職)の前座法話、黒田進先生の法話と進んでいきました。
↑澤面真世氏の御文拝読です。
↑高山崇さんからのひと言です。
その時その時の出会いをもっと大事にしていきたい。
黒田進先生からのひと言です。
真宗門徒の生活とは呼びかけを聞いていく生活です。
●午後一時からの大逮夜のお勤めの後、高山崇さんの御文拝読、照井静志さん(長浜教務所)の前座法話、曽我謙成さん(一色 等倫寺住職)の前座法話、黒田進先生の法話と進んでいきました。
↑高山崇さんの御文拝読です。
↑照井静志さんからのひと言です。
どう生きるのかという問いを抜きに、尊いいのちなんてことは言えない。
↑曽我謙成さんからのひと言です。
死を見つめることなしに、生を大事に生きることなどありえない。
黒田進先生からのひと言です。
私は私のいのちを尊いものとして、いただいているのか。
●午前六時からの結願晨朝のお勤めの後、和田英昭さん(岐阜 照明寺副住職)の御文拝読、木村英淳さん(大阪 玉泉寺住職)の前座法話、黒田進先生の法話と進んでいきました。
↑和田英昭さんの御文拝読です。
↑木村英淳さんからのひと言です。
本当の生き方がしたい。ほんまもんの人生を歩みたい。
黒田進先生からのひと言です。
どんな時も初心でありたい。
↑法話の後、本堂であずきがゆをいただきました。
↑午前八時半から子ども報恩講が勤まりました。その後、満日中に子どもたちから献花がありました。
●午前九時半からの満日中のお勤めの後、島野政友さん(大阪 貞正寺住職)の御俗姓拝読、和田英昭さんの前座法話、黒田進先生の法話と進んていきました。
↑島野政友さんの御俗姓拝読です。
↑和田英昭さんからのひと言です。
報恩講によって一年が始まり、終わるということをしみじみと郡上の地(自坊)で感じます。
黒田進先生からのひと言てす。
私が念仏に遇うということは無数の念仏者のおてまわしである。
↑最後に、総代長の宮崎幸司さんから、お礼の言葉がありました。
●今年の内陣出仕の方は次の通りてす。
曽我謙或さん
越本達了さん
樋上聡さん
島野政友さん
和田英昭さん
高山崇さん
禿子慈孝さん(北方 通来寺副住職)
木村英淳さん
照井静志さん
●こうして、二〇〇二年も報恩講に遇わせていただきました。準備から色々とお世話をしてくださいました総代様、婦人会の皆様、子どもたちにお菓子をくださいました藤居英次様、藤居吉男様、そして皆々様、有難うございました。
今年も浄願寺の報恩講に際して、講師の黒田進先生をはじめ、数名の方よりお話を聞かせていただきました。たくさんの問題提起を頂戴しながら、本文では勝手ながら、ひと言だけを紹介させていただきました。申し分けございません。尚、文責はすべて住職にあります。
それから、十一月二十七日、頭の毛を剃りました。別に理由はありません。思いつきです。ただ、この頭を見て色んな言葉を聞かせていただきました。
「ごえんさん、なんか悪いことをしたんかいな?」
「ごえんさん、ええ頭の形してるわ。前(顔)より後ろ(頭)の方が絶対ええわ!」(笑)
そうそう、黒田進先生からは「親鸞聖人の頭とそっくりです…」とまで言われました。(?)
さて、あなたはどんな言葉をかけて下さいますか。また会える日を楽しみにしています。