テーマ 思い通りに生きたい…それだけがお前の人生かそれしかないのか(27座)

1999(平成11)年2月1日



表紙

私たちは、自分に苦痛をもたらす事柄は、私が私に成ってゆくことを、私が私として生きることを障げているものであるとのみ思いがちなのですが、実は、苦痛を感ずるその事柄、現実のなかにこそ、私が私に成ってゆく手がかり、道があるのです。苦に処する態度が、その人の人生に対する姿勢を決するといってもよいかと思います。

宮城 豈頁(みやぎしずか)



はしゃいで いるとき
どこかで もう一人の私
泣いている
淋しいとき
どこかで もう一人の私
笑っている
逢いたいなあ
もう一人の私

星野富弘

住職記

●思い通りになると喜んだり、はしゃいだりしている。反対に、思い通りにならないと腹を立てたり、落ちこんだり、時には誰かを恨んだりもしている。このごろ、これが私の日暮しの全体のように思えてなりません。大切な私の人生…、こんな生き方でいいのだろうか。色んなものに尋ねながら静かに考えてみたいと思います。

●まず、日本にある様々な宗教に尋ねてみます。でも、すぐにそれは無駄なことだと分りました。なぜなら、日本のほとんどの宗教が「商売繁盛」「無病息災」「家内安全」「合格祈願」に代表されるように、この宗教を信じたら「あなたの思い通りになりますよ」という内容のものばかりだからです。これでは私の生き方をきちんと見つめさせ、考えさせるはたらき、力はありません。私をただ眠らせるだけです。全然話になりません。

●次は、仏教に尋ねてみます。「雑阿含経」の中に「六衆」という教えがあります。そこには、六匹の動物が一本の杭につながれています。その動物たちは、一刻も遠く、それぞれに自分の行きたい所へ行こうと頑張ります。犬は村。鳥は空。蛇は穴。狐は塚間。鍔は湖。猿は山林へ。しかしみんなが自分の要求する方へ行こうとすればするほど、互いに綱がからみ合って動けなくなっていくのです。結局どれ一匹、思う所には行けなかったというのです。なんとも、まのぬけた話です。ところが、実はこの「六衆」とは他でもない私たちのことを言い当てているようです。同じ家庭、同じ地域、同じ国、同じ地球を生きながら、みんなが我れ先にと、自分の要求を中心に生活している。周りはどうでもいい、どうなってもかまわない、自分のエゴを満たすことだけを考えている。それが私の生き方そのものだと教えています。そしてさらに説かれていることは、思い通りにしたい、自分の都合の良いようにしたいというこの思いが、実は綱がからみ合い、動けないこの動物たちのように、私たちもまた、自分自身を束縛し、がんじがらめにし、お互いに苦しめ合っているというのです。どうも、思い通りに生きることが自分を大切にすることではないようです。

●今度は仏教の教えにずっと生きてこられた人に尋ねてみます。

おもうようにならざることをよろこばん

これは北陸の富山に住んでおられた、ある、おじいさんの言葉です。この方は生涯、念仏の教えに生きてこられた人だと聞きました。これは、やせ我慢や負け惜しみや思い通りにならないことでもなんとか喜んでいきましょう、要は心のもちようです、というような次元ではなく、表紙の宮城先生の文章にもあるように、実は、思い通りにならない事実が、私に私の生き方を、私の生き方全体を問わしめる。そしてそこに私が私に成っていく道があるという確かさを語っておられるのだと思います。

●そして、最後は人間の中に尋ねてみます。どうでしょうか、人間は、たとえ、すべてが思い通りになっても、決してそれだけでは、満足させないものが内奥にあります。そういうはたらきが日ごろの意識の下に確かにあります…。表紙の星野富弘さんは、そのことを

もう一人の私

と表現されているように思います。           `

●思い通りにしたいというその底に促してくるはたらきを持つ、そこに人間というものを感じつつ、「逢いたいな」という声と共に、やはり親鸞聖人をはじめ、色んな人に尋ね、歩んでいきたいと思います。

編集後記

▼私事のことながら、去年の12月20日に姫路の祖母が、12月30日に大阪の祖父が浄土に還帰(げんき)されました。年が明け、1月12日には子どもが誕生しました。年末年始に、私もこんなふうに生まれてきたのか、私もやがては死んでいくのかと、生死(しょうじ)そのものを見せて頂きました。
▼祖父が私に最後に語ってくれた言葉が、

「長浜の風景を壊さんといてくれよ」

でした。思い通りにしようと、周りを破壊し、改革していこうとする現代人そのものの私に対して、なんて、鋭く厳しい言葉だろうか。この言葉をきちんと抱えながら生きていこうと思っています。



▼こんな教えの言葉があります。

人間が生きていく中で、一番思い通りにならないこと、それは誰もが死んでいかなけれぱならないということです。

もしも、思い通りになることが最高の喜びであり、それが何よりも倖せなことだという人生観でのみ生きるとしたら、私たちは死んでいく時には結局、絶望と愚痴しか残らないんですよね。



▼この季節、インフルエンザがとても流行しています。どーか、お身体を大切に。
(私も患って6キロも痩せたんですヨ。おかげでスマートな男前になりました…)


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