↑『ブッタとシッタカブッタ2』小泉吉宏著より
▼場所は知多半島、東海市に暁学園という名の擁護施設があります。この学園では、保護者のいない児童、虐待を受けている児童、その他関係上、擁護を必要とする児童の人たちが生活を共にしています。その暁学園の園長である祖父江文宏先生からこんなお話を聞かせていただきました。
▼一歳四ヵ月の幼児が暁学園にやって来ました。彼のあだ名は王様と言うんですけど身体には数ヵ所の煙草の火と思われるせっかんの跡があり、親からかなりの虐待を受けていました。来たてのときの王様はまったく表情が無く、立つことも出来ず、ただ、きょとんと座っていました。それは虐待症候群といって、凍りついた表情をしていました。暁学園の他の人たちが
「この人、人形みたい」
という程です。そんな中、学園内のタカくんという高校生の人がこの王様と一番近くで生活をしてくれました。王様を背中にのせ、にきびづらしたほほをペチャベチャされたり、叩かれたりしながら
「あっち、あっち」
と言われれば必ずそっちへいくというかんじで毎日を送ります。そんなふうにして数ヵ月が過ぎました。すると、あれ程に冷めていた王様の顔にだんだんど表情が戻ってきます。だんだんと王様の顔が明るくなってきたんです。そしてつい最近、こんなことがありました。タカくんがすごい勢いで私の部屋に入って来ました。
「園長スケー、ちょっと来いよ」(祖父江文宏先生は園長スケとよばれています。)
「なんだよ」
「いいからちょっと来いよ!」
と私はタカくんに言われるままついていくと、なんと、その部屋で、はいはいしか出来なかった王様がひとりで立っているんです。
「なっ!立ったろう」
とタカくんが大きな声で言うと、すとんとお尻から落ちましたけど…(笑)。しかし王様はやがて再び、立ち、つたい歩きをはじめます。
「おーい、立ってごらんよ、ねえ、歩いてごらんよ」
というタカ君の声が聞こえたかどうかは分らないけど、だから歩けたとは僕は思わないけど、でも王様は立ち、歩けるようになったんです。そしてその瞬間、ホントにいい笑顔で笑っているんです。当初、あれ程冷たく凍りついた表情できょとんと座っていただけの王様が私たちに笑いかけるんです。そして私はつくづく思いました。
人は自分が大きくなっていくことを無条件に喜んでくれる人がそばにいる時、人っていうのは歩みの中に、確かな足跡を残していくことができるのではないんだろうか私たちはひとりの人が生きて在ることを無条件に喜ぶことができるだろうか…。
私たちはそれとは反対に、いつも子どもたちに足りないところをどうこうしょうとしているのではないんだろうか。そして、そうすることによって、なんとなく育児であったり、教育であったり、人を育てているような気になっているんではないのでしょうか。要は私たちはいつも人に注文をつけているんですよね。
▼この話から、あなたはどんなことを感じられますか。また色々なことをお聞かせください。私の感じたことは来号で書かせて頂きます。
◆祖父江文宏先生のお話は、先日8月26日、長浜別院大通寺での「御坊さん人生講座」からです。まるごと聞きたい方は録音したテープがありますので私まで遠慮なく申し付けください。お進めですのでぜひ。
◆このお話から一生のテーマをいただいた気がします。
ひとりの人が生きて在ることを無条件に喜ぶことそれが私には出来るだろうか…。