どこへ行っても地球はもはやエコノザウルスでいっぱいだ。
経済で大きくなったインテリ恐竜、エコノザウルスは片っ端から
地球の資源をムシャムシャガツガツ食べている。
エコノザウルスの趣味はお金もうけ。山にゴルフ場をつくったり、川をつくり変えたり、
海に有害物質を捨てたり、野生動物を殺したり……
それはみ〜んなお金をもうけるためのおいしいアイディアなんです。
一生使い切れないくらいのお金をためてもエコノザウルスは止まらない。
「地球がボロボロになってもやめられまへんな! こればっかりは……!!」
頭がいいようでもエコノザウルスはただの経済恐竜。とことん行かなきやわからない。
あなたも私もエコノザウルス。今日も元気に絶滅へと向かっています。
『同朋』東本願寺発行より
二度とない人生だから
一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけていこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしていこう
どんなにか よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く 便りをしよう 返事は必ずかくようにしよう
二度とない人生だから
まず 一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接していこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめていこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの 星の光りにふれて わが心をあらいきよめていこう
二度とない人生だから
戦争のない 世の実現に努力し
そういう詩を 一編でも多く作っていこう
私が死んだら あとを継いでくれる 若い人達のために
この大願を 書き続けていこう
『二度とない人生だから』坂村真民
◆まず、この詩のタイトルからどんなことを思うでしょうか。
私の場合、凝縮すればこのような言葉になります。
二度とない人生だから
自分が自分らしくありたい。
二度とない人生だから
悔いのないように生きたい…。
◆しかし、先の詩(特に最後のフレーズ)とはやや違いますよね。
…というのは、私の言葉を読んでみると、そこには私ひとりがどのように生きるかということしか頭にないわけです。
◆もし、誰もがこのことだけで生きるなら、どうしてもまわりを利用することしか考えないようになります。そういえば、こんな名前がありましたよね。
「アッシー君」(私の足になってくれる)
「メッシー君」(ご飯を食べさせてくれる)
「コンピニ男」(二十四時間OK)
まあ、このぐらいは笑っていられますけど。
◆こんな言葉もあります。
「現代人は山に木材を見て、木を見ない。」高史明
「森は私たちの生活に欠かせない資源です。」
◆やはり、利用です。それこそ表紙の
「どこへ行っても地球はもはやエコノザウルスでいっぱいだ。」
です。
◆静に立ち止まって考えてみると、二度とない人生を生きるのは私だけじゃない。すべての人たちが、二度とない人生を生きている。それは何も人間ばかりじゃなく、動物も植物も山も海も、そしてこの地球も、あらゆる生命(いのち)がその事実を生きている。
◆仏は「十方衆生(もろもろの生きる者)」と呼びかけている…。「二度とない人生だから」のあとに「私のこと」しか見えない者こそ、よくよくその声に耳を傾けなければなりません。
▼アメリカの人が言っていたそうです。私たちは野茂(プロ野球)選手の活躍にエールをおくるのに、日本人は曙(力士)をあまり応援してくれないと。こんな所にも島国である日本人の体質が現れているように思います。まもなくオリンピックが開催されます。「がんぱれ!ニッポン」と言い過ぎないで、国や民族をこえて「熱くなれ♪」(主題歌)と歌いたいものです。