『妖怪入間ベム』
「早く人間になりたい」
あの名ゼリフは、本当は現代の人間サマのためにあるのかもしれない…。
月刊『ラブレター』より
■4月15日、蓮如上人五百回御遠忌のテーマが発表されました。
バラバラでいっしょ 〜差違(ちがい)をみとめる世界の発見〜
■ここに、差違(ちがい)をみとめる世界とありますけど、それにしても、日本人っていうのは、「違う」ということをとても嫌いますよね。出る杭は、「おかしな奴」「変な奴」と非難し、寄って多かって打ちます。そんな「同じ」がいいと、あるいは「同じ」でなければいけないという日本人に対して、他の国の人々はこんなふうに言われます。
「顔のない日本人」
■だいたい、日本人の「同じ」が好きというのは、この私と同じにさせることが好きなのです。このへんが非常に危ないところです。結局それは、私の言うことを聞けということです。だから、日に日に「同じ」に出来ない「おかしな奴」「へんな奴」が増えてくるわけです。当然、孤独になります。最後はひとりぼっちです。なぜなら、こんな難しい私と「同じ」になれる人など、一人もいないからです。
▼中国の作家、陳舜臣氏のこのような言葉があります。
隣人と仲好くしたいのであれば、私たちは基本的な一つの原則を忘れてはならない。
隣人と自分とは違うものである、自分の頭のなかで、勝手に隣人のイメージをつくってはならない、ということである。
『日本的 中国的 「中国」とはなんだろう?』陳舜臣著より
「おかしな奴」「へんな奴」ではなく、「自分とは違うものである」ということなのですよね…。
■とはいえ、つくづく世界が違う…、バラバラ…だと感じるのがやはり私の正直なところです。でも不思議なことに、そんなふうに割り切ろうとする私であるのに、どうも気になるのです。その人たちといっしょでありたいという…うずきのようなものが、私の心の中に微かですけど、確かにあるのです。
■今、そこに人間を憶(おも)いつつ、蓮如上人五百回御遠忌をお迎えしたいと思っているところです。
バラバラでいっしょ 〜差違(ちがい)をみとめる世界の発見〜
▼私は幼いころ、表紙の『妖怪入間ベム』に夢中でした。最終回、
「我々はこの醜い身体を捨て、人間の身体を乗っ取って、人間になるのではない」
こんな感じで語る主人公ベムの言葉が今も心に残っています。さて、私たちは人間の姿はしているけど、果たして本当に人間だといえるのだろうか。
「早く人間になりたい」
あの名ゼリフは、本当は現代の人間サマのためにあるのかもしれない…。