人間は偉いものではない 尊いものです
安田理深
■釋尊誕生の言葉「天上天下唯我独尊」の如く、仏教は天の上にも天の下にも唯(ただ)我(われ)独(ひとり)として尊いという、「1」「1」「1」の事実、誰もがかけがえのないの存在であることを説きます。
■それにくらべて現代、世の中は数がすべてといっても過言ではありません。相変わらずの能力主義、経済至上の社会から聞こえてくる言葉は、利益、年収、順位、偏差値、視聴率、多数決、…どれもこれも数による評価です。それは「1」「1」「1」を人間の分別によって、「1」「2」「3」と順番をつけたり、十把ひとからげに「3」と足し算をしたり、そんな数というものによって、一人の重さを見失っているのではないでしょうか。
■以前、祖父江文宏さんから、本来、数なんてものは存在しないと教えていただきました。看護学校に通うますみちゃんと、まだ人間の分別に染まらない幼児のまことくんの会話を通して、そのことをこんなふうに話されました。
1999(平成11)年3月30日『御坊さん人生講座』於長浜別院より
ますみちゃんが「5から4引いたらいくつ?」と聞きました。
すると、まことくんは「おれ知らん」って言いました。
そしたらね、ますみちゃんがね「そんなんだめ。ね、5があるの、そこから4引くの、答いくつ?」。
まことくんは聞きました。「5どこにあるの?」って。
5のありどころ知っている方いらっしゃいますか…。ますみちゃん、しばらく考えました。しかし、僕これすごいって思ったんです。そうだったんだ、数の本質はここだったって思いました。
ますみちゃんは言いました。「あのね、本当はないの。けど、うそんこにあるの」。
そう言われると「そうだ!」って僕は思う。私たちは数に頼ってしまうってことは、うそんこであることを忘れて、ほんものだと思うからでしょう。私たちの欲望の極限は、数はほんものであると思い込むことから始まってるんじゃないですか。ますみちゃんはさすがです。
「うそんこにあるの」って言いました。「うそんこの5からうそんこの4を引くといくつ?」。
まことくんは「1」とは言いませんでした。「そんなもの決まっとる、うそんこだろう」って言いました。
そしたら、ますみちゃんが 言いました。「チョコレートがあります」。
まことくんが言いました。「うそんこだろう」。
「そう。うそんこにチョコレートがあります。5つあります」。
すると、まことくんが「そのチョコレート誰の?」って聞いたんです。
ますみちゃんが「まことくんの」って言いました。「まことくんがチョコレート5つ持ってます。うそんこだけど持ってます。その5つから4つをますみちゃんにくれます。はい答いくつ?」。
まことくんはこう言いました。「おれ絶対、ますみちゃんにチョコレートやらん」。(笑)
仕方がなくなったますみちゃんが言いました。「こっち見なさい。(指で)1、2、3、4、5、ここから 1、2、3、4、引きます。答いくつ?」。
まことくんは言いました。
「赤ちゃん指」。
■…赤ちゃん指。祖父江文宏さんはこれが正解だと仰いました。まさに「天上天下唯我独尊」赤ちゃん誕生の産声です。
■人間の分別でもって数を絶対とし「1」「1」「1」の事実を見失っている私たち。今、数はうそんこであることをお互い心に刻み込みたいと思います。
▼北陸の念仏者、北村金次郎さんがこのような言葉を残してくださっています。
「人間は聞いてからなろうとする。ほんとの聞き方はそうじゃない。なっとることを聞け。」
▼「天上天下唯我独尊」である「1」「1」「1」の世界とは、人間の分別で目指していく世界ではありません。それは事実であり、「なっとること」です。