ひどい
ひどい
大人たちですよ。
もうとっくにバチが天から落ちてくるはずなのに、
まだゆるして下さっているのに、
まだ待ってて下さっているのに。
早く
早く
目をさまして下さい。
絶滅の頂上に今立っていることに気づいて下さい。
どうしたらよいのか、手おくれにならぬうちに行動を起こして下さい。
詩 絵『言いたいことがありすぎて』丸木俊著より
■アメリカのオバマ大統領が提言される
『change』。
それに昨年の日本の世相を表す言葉が
『変』。
日本そして世界中で、この
『変(change)』
がキーワードになっています。
■ただ、この『変』は大体、「変える」であって、「変わる」ではないのです。つまり、他を「変える」のであって、肝心の自分は、中々「変わる」ことがありません。
■まさに、今日の文化の特徴は、ことごとく周りを「変える」という形です。例えば、部屋の中は、夏は冷房、冬は暖房という具合に空気の温度を「変える」のですし、テレビのチャンネルも、自分は動かないでリモコンで「変える」わけです。そんな便利な道具に囲まれて生活する私たちはもう、他を「変える」という発想しかできなくなったのかもしれません。そのことは、極めて傲慢な在り方です。
■そこで、オバマ大統領は、
『change』
の後に、
『we need』
と、相手ではない私たち
『Change we need』
と言われます。決して
『Change you need』
ではありません。
■もうひとつ、オバマ大統領の言葉に、
『Yes we can』
がありますが、このことは、重々吟味しなければいけないと思うのです。何故なら、
『can』
という、できるの自負心で築き上げてきた人間中心の文化がどれ程、自然を破壊してきたことか。そして遂に地球温暖化という、それこそ、この地球まで「変えて」しまったのです。
■そんな私たち人間に対して、「大統領や総理大臣たちよ」とまで叫ばれている丸木俊さんの言葉があります。これが表紙の詩へと続いているのです。
大気汚染か、洗剤か、防腐剤か、放射能か、薬害か、農薬か、添加物か。 日本の産院で障害奇形の子どもの出産が増えているということです。目に見えない内臓障害も増えているということです。
(中略)
短肢奇形、この子たちはほとんど死んで生まれるか、一時間、数時間、数日の命ということです。医者にかくれて母親がこっそり子どもに逢いに行ったら、頭骸骨のない子でした。
「プラスチックでもいい、骨を作って育てたい」
と泣いたのですが流産ということにしてすでに栄養は与えられていなかった、という話も間きました。二〇年程前までは、燕は田んぼの上を雲か霞のように群れ舞い飛び交っていたのです。羽根の音なのか啼き声なのか、シヤッ、シヤッと音たてて飛び交い、夢の中の情景のように美しく思い出されます。
いつのまにか燕は来なくなりました。
来なくなればそれは何かのおしらせであったのです。お告げなのです。
お山のお猿に手のない子供が生まれたりしているのに、蛙の声も聞こえなくなって来ているのに、コオロギやクツワムシの音も断えているというのに。
子どもや猿や虫たちまでもがお告げを持って来てくれているのに。
なんにも感じなくなってしまったお父さんお母さん。黙ってしまったおじいさんおばあさん。先生やお医者さんや政治家たち。もっともっとえらい神さまに近い人たちまで。大統領や総理大臣たちよ。
捨てられもせず奇蹟のように生きのびた子どもたちが、傷つき骨折れても生きようとする強い魂の子らが、一本の足に力をこめて二本足の子よりも早く飛ぶという。
そのように生きて、大事なお告げをとどけに来てくれているのに。それでもなんにも思わないなんて。
■自らを「愚禿」と名告(なの)られた親鸞聖人。法然上人もまた「愚者になりて」と仰いました。今、私たち人間に願われていることは、
『Yes we can』
という「賢」の勢いで突き進むのではなく、どこまでも「愚」に帰ることではないでしょうか。
「賢者」から「愚者」への『change』です。