●プロクルステス (プロキユスト)
ギリシャ語「伸ばす人」の意味。ギリシア神話に出てくるアッティカの強盗。
▼プロクルステスはエレウシース(古代ギリシアのアテナイに近い小都市)の外側の丘にアジトを持っていた。そこには、鉄の寝台があり、通りがかった人々に「休ませてやろう」と声をかけ、隠れ家に連れて行き、寝台に寝かせた。もし相手の体が寝台からはみ出したら、その部分を切断し、逆に、寝台の長さに足りなかったら、サイズが合うまで、体を引き伸ばす拷問にかけた。
▼寝台にぴったりのサイズの人間がいなかったのは、寝台の長さが調節可能だったからである。
▼プロクルステスの恐怖時代を終わらせたのはテーセウスだった。このプロクルステス退治は、トロイゼーンからアテーナイに向かう間の、テーセウス最後の冒険談である。
フリー百科事典『ウィキペディア』より
テーセウスとプロクルステス
アッティカの赤像式ネックアンフォラ
紀元前5701年〜560年頃
ミュンヘン州立古代美術博物館
■1922(大正11)年3月3日に創立された全国水平社の創立趣意書の中にこのような文章があります。
それは、プロキユストの鉄の寝床だ、旅人の體が、そのベッドより短い時は、ひきのばす、長過ぎた時は切りとってしまうのだ
■趣意書には、プロキユストですが、プロクルステスという名前の方が一般的です。表紙の解説を読むと、そんな恐ろしい強盗がいたのかと想像するのですが、これは、私たちの姿であると趣意書の中で提言されているのです。
■鉄の寝床(寝台)とは、この私の考え方、価値観、ものさしです。そして、このサイズに合うように、相手を切ったり伸ばしたりしているのではないでしょうか。まさに、プロクルステスと同じ ことを日々、心の中で繰り返しているように思います。
■さらに、
寝台にぴったりのサイズの人間がいなかったのは、寝台の長さが調節可能だったからである
とありますが、困ったことに私たちの寝床(寝台)は、調節以前、無意識の内に変化するのです。そのことは、以前に出会ったこの詩が教えてくれます。
運動場
「せまいなあ せまいなあ」
と言ってみんな遊んでいる
朝会のとき
石を拾わされると
「広いなあ 広いなあ」
と拾っている
■同じ運動場をその時の置かれた状況で「広くなれ」「せまくなれ」ですから、 実は、とんでもない寝床(寝 台)を相手に押しつけているのです。こんな難儀なサイズに合う人間などいるはずがありません。
■ところで、日本語には、お母さんのことを指す「おふくろ」という言葉があります。ふくろというのは相手の形に寄り添い、包む、これがふくろです。丸いものを入れれば丸くなりますし、四角いものを入れれば四角になります。だから自分に対して、いつもその心でもって包んでくれるお母さんのことを「おふくろ」と呼んできたのです。決してトランクではありません。トランクは自分の形を持っています。それにはめるのです。「この形に従え」です。
■誰もが、そんなお母さんから産まれてきたはずであるのに、トランク性を離れないプロキユストたる者…。それは限りなくいのちの原点を喪失していると自覚せねばなりません。
▼その時、その時で、ころころと変化する私の寝床(寝台)。こんな無理難題なサイズに合う人など、この世にいるはずありません。どいつも、こいつもと切ったり伸ばしたりする私が孤独感を深め、時にひとりぼっちになるのは、当然の報いかもしれません。
▼そして、さらに思うことは、この寝床(寝台)は私も標的になるということです。相変わらず、切ったり伸ばしたりして、終に自分自身をも殺してしまいます…。