瓦のかけら、
ツブテ、
小石のようなわれら。
彼らこそ、
わたしの師であり、
兄であり、
友であった、と親鸞は思う。
自分は終生、
彼らとともに生きていくのだ。
『親鸞』(下) 五木寛之著より
↑東本願寺御影堂
■来年、宗祖親鸞聖人の御遠忌を迎えるにあたって、私には、どうしてもうなずけないことがあります。それは、東本願寺の御影堂の見真額がなぜ、下ろせなかったのかということです。
■わが教団は親鸞聖人の「まったくおおせにてなきこと」を仰せとし、権力に加担し、へつらい、また、利用し、たくさんの人を差別してきたという非違の歴史があります。そして、そのことの象徴ともいえる見真額が、明治九年、国の権力者から与えられたのです。
■併せて思い出される文章があります。これは、昭和五十八年、鹿児島で差別法名が発見されたことを機に、今後、教団がどのように取り組んでいくべきなのか、そのことが記された文章です。
差別記載がある場合、それは教団の覆うべくもない歴史であるから、抹消したり書き換えたりすることなく、そのままにしておいた方がいいという意見があります。
これは、差別の歴史を包みかくすのでなく、むしろ常に見つめつづけねばならぬという真面目な姿勢の中から出てくる意見であります。しかし、差別のおそろしさを考えれば妥当な意見というわけにはまいりませんし、たぶんその記載が何らかの形で外に漏れたり影響を与えたとしても、そのことによって傷つけられたり不利益をこうむらない立場にある人の意見であろうと思います。
(中略)
差別法名であれば、与えられた法名が人間のいのちを踏みにじる意味をもっていようとは本人も知らなかったでありましょうし、ご遺族の方も、そうと知らずに手を合わせてこられたことでありましょう。「釋尼栴陀」と名づけられた七歳の女の子のいのちを思えば、そのままに置いておくわけにはまいりません。
『部落問題学習資料集』真宗大谷派宗務所発行より
■今、この趣旨から同様に次の二点のことを思います。一つは「抹消したり書き換えたりすることなく、そのままにしておいた方がいいという意見」とありますが、今回、それは見真額を下ろして無かったことにするのではありません。歴史を消すことは出来ないことです。ただ、これも文中にある「そのままに置いておくわけにはまいりません」ということです。
■さらにもう一つ思うことは、「そのことによって傷つけられたり不利益をこうむらない立場にある人」とは、まさしく、教団内の大多数を占める私たちなのです…。実は、見真額が有ろうが無かろうが痛くもかゆくもないのです。どうでしょう、そのことが問題にもならない私たちが何よりも問題なのです。
■当時の権力者から流罪された親鸞聖人。また、社会から虐げられてきた「いし・かわら・つぶてのごとくなる」人を「われら」と仰った親鸞聖人(表紙参照)。そんな宗祖に、どこまでも背く私たちの体質を、この御遠忌を迎えるにあたって、まず、自問すべきです。
▼「見真」という言葉は、仏説無量寿経の中にある「慧眼見真」(真宗聖典54頁)からであり、言葉自体は金言です。
▼前号と同様、今号のような課題は、長浜教区の部落差別問題の学びの縁の中で、少しずつ私なりに感じるようになってきたことです。
▼住職記で紹介しました文章の中に「差別の歴史を包みかくすのでなく、むしろ常に見つめつづけねばならぬ」とありますが、私もそのように思います。ですので、見真額を御影堂ではなく、どこか別の場所に安置し、それこそ、常に見つめつづけていくべきだと思います。