テーマ 「を」と「に」に学ぶ(114座)   

2013(平成25)年5月1日


表紙

 私たちの宗門では、今日まで長年にわたり、部落問題を学ぶことを通して親鸞聖人の教えを学び直そうという取り組みを続けてきました。しかしこの学習を通して、部落問題の学習にはさまざまな困難や抵抗があることもわかってきました。それは以下の三点に集約されるのではないでしょうか。

 1.今日、一般では「人権問題研修」が進められているのに、いまだに「部落問題研修」をする必要かあるのか。
 2.若い者は部落差別を知らないし、差別意識も持っていない。知らない者に部落差別を教える必要はないのではないか。
 3.差別する者も悪いが、差別をされる方にも問題があるから差別がなくならないのではないか。

 これらの考えは、どこから出てくるのでしょうか。親鸞聖人の教えを聞くものである私たちが、なぜ部落問題を学ぼうとするのかという学習の目的が明確でないところから、このような意見や思いが出てくるのだと思われます。
 私たちの部落問題の学びは、「差別はいけないから差別をなくそう」ということではありません。むしろ、「誰もが差別はいけないことだとわかっているのに、なぜ差別がなくならないのか」ということを、我が身の生活の事実の中に明らかにしたいと願っています。
 私たちは、一方で「差別はいけない」という思いを持ちながら、「面倒な問題に関わりたくない」「人間の社会に差別があるのは仕方がない」自分は差別しているつもりはない」と、差別を容認したり、自己保身を図ってはいないでしょうか。差別する心とは、差別用語を用いたり、直接誰かを蔑む心として出て来るだけではなく、このような形でもあらわれるのです。そのような差別する私自身の姿を明らかにし、「差別を痛む心」を回復したいと思います。
 それが、私たちが部落問題を学ぶ目的であります。
(長浜教区部落問題研修会開催趣旨文)

住職記

■去年12月、長浜教区部落問題研修会に、藤場俊基先生がご出向くださいました。先生は、各組で取り組んでいる開催趣旨文の中にある言葉(表紙参照)「部落問題を学ぶ」と「部落問題に学ぶ」の「を」と「に」の違いについてお話しされました。
■「を」とすると、それは事柄としての学びに陥ってしまう。そうではなく、自分自身の差別性を自覚していくという「に」の視点が大切であるとご指摘くださいました。
■また、その時に出席しておられた教区内のご住職からこのような文面の葉書もいただきました。

 〇を学ぶ。〇に学ぶ。〇に、「原発」「いじめ」「認知症」などを入れると…。
「を」は知的受け取り、第三者的学び。
「に」は心での受け取り、私にとってはの学び…。
また、課題をいただきました。

■ただ、このことにおいては、以前、毎月の学習会でも「を」ではなく「に」にしたほうがよいのではという意見が確かにありました。現に「に」とした開催趣旨文(案)を刷って、話し合いの時間も持たせていただいたことです。その際、幾つかの教材を読ませていただいたのですが、最も私たちの腹に落ちたのは次の文章です。

【共感と連帯を生まない自己否定】
宗教者が自らの罪業のみを問い、結果的に小さな世界に閉じこもっていく体質を、『同和はこわい考』の著者の藤田敬一氏は次のように指摘している。
 宗牧者の陥りやすい危険は、自分の中の差別性、我が内なる差別意識を自覚して自己否定をする。自己否定は他者批判を控えさせる。そうすると、出口なしのふんづまりということに、私はなると思う。自己否定はいいですよ。自己否定が関係を変える方に向わなければ、自己否定は常に内向するしかない。それでは、関係は変らないですね。共感と連帯を生まないんです。つまり、響き合い重なり合うことができなくなってしまう。
『よく生きあうということ』藤田敬一講述

      (中略)
 
 親鸞は浄土和讃で次のようにいう。
 法身の光輪きわもなく   世の盲冥をてらすなり
闇を照らす仏の光は限りなく、今なお世の闇を照らしているという。教えは、私たち一人ひとりのもつ闇を照らしつづけているのと同時に、私たち一人ひとりがおりなすこの世の闇をも照らしつづけている。自らの闇だけでなく、世の闇をも照らす、そのような教えが身に受けて生きていくことを大切にしたい。
「ハンセン病はいま 97」酒井義一『真宗』2005年9月

■湖北の地の土徳あるその裏側で現前としてある差別社会。そんな世の闇をまずは、眼をそらさず見つめていこうとする願いから、あえて「に」ではなく、「を」にさせていただいたことです。
■しかしながら、根本に据えるべきことは、やはり「に」であることは言うまでもありません。

この身を離れて、この世はない。この世を離れて、この身はない。
和田稠

※住職記の内容を高科駐在教導さんを通して、藤場先生に直接メールいたしました。そして、4月25日に第2回目のお話を聞かせていただきました。(下写真)

教区部落問題研修会

▲4月25日(木)19:00〜21:00
於長浜教務所2階
講師 藤場俊基先生 金沢教区 常讃寺住職

教区部落問題研修会

▲4月25日(木)19:00〜21:00
於長浜教務所2階
講師 藤場俊基先生 金沢教区 常讃寺住職

編集後記

▼藤場俊基先生のお話から、住職記にも、「根本に据えるべきことは、やはり「に」である」と書かせていただきました。そのことからひとつ思うことがあります。それは、表紙の趣旨文の1行目〜2行目の「部落問題を学ぶことを通して親鸞聖人の教えを学び直そう」は「部落問題を学ぶことを通して親鸞聖人の教えに学び直そう」とするのが適切ではないかと思います。また、話し合いの時間を持ちたいと思っています。

▼最後に次の言葉をいただきたいと思います。

もっと、もっと、
悩まねばなりません。
人類の様々な問題が
私たちにのしかかって
来ているのです。
安っぽい喜びと安心に
浸るような信仰に
逃避していることは
出来ません。
むしろ、
そういう安っぽい信仰を
打ち破っていくのが
浄土真宗です。                       

安田理深


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