2021(平成33)年11月 於浄願寺
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要に向けて
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■5月30日(月)〜31日(火)長浜ロイヤルホテルにて、テーマ「私を問う、国を問う 憲法・国家、本願・仏国土」と題し、講師に平川宗信先生(名古屋大学名誉教授)と黒田進先生(長派僧侶)が招かれ、「第43回近畿連区同朋の会推進研修会」が開催されました。
■平川宗信先生からの言葉です。
▲平川宗信先生
▼仏法は理解するものではなく、仏法によって生きる方向性が決まるのである。
▼社会のすべての問題が真宗の課題である。
▼生活必需品の特に携帯電話などは、発展途上国といわれる国の子どもたちがそのいのちを縮めて作っているのです。
▼差別とは心の問題というより社会の構造である。
▼ダルマ(法)に従って政治を行った仏教の歴史があるのです。
■黒田進先生からの言葉です。
▲黒田進先生
▼あらためて、憲法にいかに無関心であった自分が知らされました。
▼私は、聞くべきことを聞いてこなかったのではないか。知るべきことを知ろうとしなかったのではないか。
▼真宗の教えに生きるということは、きれいごとではいかない、矛盾に満ちた現実をジレンマの中で深く悩むことであると思う。
▼憲法9条は人類の本願にまでなっていると思う。
▼憲法の中の「日本国民は」という言葉によって迫害を受け、排除されてきた人がいる。
(文責住職)
■最後に開催趣旨文を掲載させていただきます。
今自分が営んでいる生活ほど、大切なものはありません。ですから私たちの聴聞の在り方も、その自分の大事な生活を守るため、役に立って、日常生活のプラスになるような仏法が聞きたいし、またそういう聞き方しかしていません。
しかしそれは常に「感謝の宗教」を求めていることになりませんか。現実を問い直すことなく、全面的に肯定し感謝している。しかも、そのような自分を一向に問題にすることのない姿がそこにあります。
「これでよいのだろうか」と現実(私と世間)を問いかけてくるのは、実は私に対する如来の呼びかけであり、その問いかけを自らの課題として生きよというご催促なのです。
命の奪い合いが負の連鎖を生み出している現代社会に促されて、今回は、殺生の権利が「死刑」として与えられ、また「交戦権」として与えられようとしている「国」なるものに、同朋精神を生きようと願う「真宗門徒」はどう向き合うのかを共に考えてみましょう。
★2019(平成31)年5月、長浜教区・五村別院・長浜別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌キャラの名前が、先日399の応募の中から決定されました。
女の子は「あかり」男の子は「とも」です。
あかり とも
今回、このような貴重な研修会にご縁をいただきました。平川宗信先生、黒田進先生はともに徹底して教えと社会を、あるいは身と世を切り離すことなくお話されました。そのお姿に、まさに平川宗信先生が言われた「生きる方向性」を感じました。また、黒田進先生が言われた「日本国民は」から排除される人の話が印象的でした。そしてその時、不思議にも両先生の師である和田稠先生から教えられたことを思い出しました。それは次のような内容です。
本願文の第十八願、十九願、二十願に共通しているのは「十方衆生」と「欲生我国」である。つまり、我が国に生まれよというのは、人間だけでない、生きとし生けるすべてのいのちへの浄土からの呼びかけなのである。
テーマにも重なるのですが、「浄土」からどこまでも人間中心である私と国が問われています。今あらためて回復すべきは祖父江文宏さんの次のような感覚ではないでしょうか…。
君が生まれてくるときお父さんは忙しかった。だから、お父さんはまずは隣の家に行こうとした。だって生まれてきていいですかと聞かなきゃならないと思ったからです。玄関を出たらミミズが顔を出していた。ミミズに向かってお父さんは言った。「ねえ、今大介くんが生まれようとしています。生まれてきていいですか」とミミズに聞いた。見上げたら電線にスズメがとまっていた。スズメにも「大介くん生まれてきていいですか」と聞いた。「父さん何してたんだ」と聞いた大介くんは「それでどうした」と僕に聞きました。「それでそう、河にも聞いた。河の中の魚にも聞いた。周りの犬や猫にも聞いた」。そしたら、ミミズは「僕一人では決められません。世界中のミミズが集まって、『世界ミミズ会議』を開きます。そう言ったんだよ」と言いました。(中略) そして、結論が出た。スズメはスズメ、猫は猫、犬は犬、すべてが結論を出した。「何て」と大介くんが聞いた。私は「ミミズは言っていたよ。どうぞ生まれてきてください。ダイちゃんに伝えてください。私たちはダイちゃんのためにこの地球の上でわずかですが、ダイちゃんが立てるだけの土地を地面をあけようと思っています。だから大急ぎでダイちゃんが生まれ落ちてポトンと落ちたときにつぶれないように場所を動きます。そうミミズが言ったよ。スズメも言っていたよ。僕たちが大急ぎでダイちゃんが生まれてくるのに場所をあけようと思う。でもね、ミミズは言っていたよ。もう一つダイちゃんに伝えといてください。僕たちが散歩をしているとき、ダイちゃん、どうかおしっこをかけんといてください。そうミミズは言っていた。スズメはやっぱり石を投げんといてくれと言ってたぞ。猫はひげを抜かんといてくれと言ってた。魚はむやみに捕らんといてくれと言ってたぞ」と言いました。しばらく黙っていたダイちゃんがボソッと「園長すけ、生きているものってみんな優しいな」と言いました。生きているものは優しいんですよね。この優しさ、それはおそらくいのちの優しさです。これを受け取ることがなかったら、私たちは自分たちの力でいのちを消し去ることを正当だと言い始めるんではないでしょうか。私たちがすでに受け入れられていた。それが私たちの誕生だったのではないでしょうか。私一人は受け取られていた。私一人はすでに救われてあった、というのが人間の一番基本にあるのじゃないでしょうか。
『悲しみに身を添わせて』祖父江文宏著