テーマ 帰敬式(ききょうしき 〜仏弟子とは〜(220座)

2022(令和4)年7月1日


表紙

2022年6月11日13:30〜 五村別院にて
「親子で受式する帰敬式法座」が開催されました。

▲集合写真

▲レクリエーション

帰敬式は、「おかみそり」とも言われ、「仏」「法」「僧」の三宝に帰依し、宗祖親鸞聖人が明らかにされた「教え」に自らの人生を問いたずね、真宗門徒として新たな人生を歩み出すことを誓う大切な儀式です。受式されますと、仏弟子としての名告り(名前)である「法名」(釋○○あるいは釋尼○○)が授与されます。ともすると、法名は「亡くなってからいただければよい」と思われる方もあるようです。しかし「帰敬式」は、お釈迦さま(仏陀)の弟子(仏弟子)になることであり、法名は、南無阿弥陀仏の教えにみちびかれ、仏道を歩む者となった新たな名告りです。したがって、生きている「今」受式することに、帰敬式の本来的意味があります。真宗の伝統のなかにこの身を受けた一人ひとりの、人生の新たなスタートとして、「帰敬式」を受けましょう。「東本願寺ホームページ」より

▼それでは仏弟子とはどういう人なのでしょうか。

住職記

帰敬式(ききょうしき) 〜仏弟子とは〜

■仏弟子とは親鸞聖人は

「身心柔軟」

と言われ(真宗聖典245頁)、それはひと言で言えばやわらかさです。

■また仏弟子とは「行人」や「行者」と言われ、『正信偈』の中には、

「行者正受金剛心」(真宗聖典207頁)「行者、正しく金剛心を受けしめ」

とあります。金剛とは堅いということですが、しかしそれは凝り固まることではありません。

■先人の詞

「いたりてかたきは、石なり。 至りてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ。」(真宗聖典889頁)

の如く、金剛心とは堅い石をうがつ(貫く)水のようなやわらかな心です。

■水というのは、色も形も味もありません。色は湖(下写真)

がそうであるように、青色や灰色や赤色等、空の色を映し出します。形もコップであれ花瓶であれ、相手の形にぴたっとひとつになります。味もお茶、 コーヒー、お酒など、水がそのものの味を引き出すから美味しいのであって水自体の味は主張しません。もし、 主張すればその途端に美味しさは失われてしまいます。このように水のようなやわらかさで生きることの大切さを私たちに教えています。

■仏弟子の中で智慧第一と言われた舎利弗の文章を重ねて紹介致します。

ある町で、二人の画家がたがいに技を競いあっていました。あるとき、国王が二人の優劣を決めようと、それぞれ得意の絵を描くように命じられました。一人の画家は直ちに製作にとりかかり、六カ月後みごとな絵を描きあげました。ところがもう一人の画家は少しも絵を描かず、ひたすら壁をみがいてばかりいました。やがて見に来られた王は、はじめの画家の絵のみごとさにふかく感服されました。ついで、反対側に描かれてあるもう一人の画家の絵をご覧になりました。それは最初の画家の絵よりももっとふかみのある、すばらしい絵でした。王が感嘆しておられると、その画家が静かにすすみでて申しました。「これは私が描いたものではありません。わたしはただ壁をみがきあげただけなのです。その壁にあの画家の描かれた絵がうつっているのです。ですから、これが 美しいとしたら、それは向い側の絵がすばらしいからです」その言葉に王はいよいよ感服されたということです。その話をされた釈尊は、絵を描いたのが目連、ひたすら壁をみがいていたのが舎利弗であった、とつけ加えられています。同じような話がいくつか伝えられていますが、とくにこの二人の画家の話は、智慧第一の舎利弗の本質をみごとに伝えていると思います。つまり舎利弗の智慧は、あらゆるものの美しさをひきだし、うつしだすまでに、その壁(心)をみがきつくされたものであったのです。わが才能を表にあらわし、誇るものではなく、逆に一人ひとりの才能をほめたたえ、その尊さを一人ひとりに気づかせる力であったのです。  『仏弟子群像』 宮城 豈頁(みやぎしずか)著より
 
■以前から私はこの画家の話は聞いていましたが、何か負け惜しみのような、こんな極端な話になかなかうなずけませんでした。でも考えてみると競争社会の中で「個性を伸ばす」などの言葉に煽られ、いつしか自分の能力を磨くことに絶対の価値を置き、私の色、私の形、私の味という自己主張に明け暮れる、万事そんな私の生き方こそが極端だったのかもしれません。

■自らの心を凝り固め、主張するのではなく、どこまでも相手に寄り添い、存在を受け止め、その色も形も味も引き出してくる水のようなやわらかな人が仏弟子であると教えられています。

あとがき

▼ついに「親子で受式する帰敬式法座」が開催されました。浄願寺からも13名の人が参加してくださり、本当にありがとうございました。コロナによって延期になり、スタッフ事前研修会はなんと30回を重ねました。それはそれはみんなの念願でした…。

▼また、仏弟子となる帰敬式ということで、住職記を書かせて頂きましたが、これは以前の通信を元にして、長浜教区第20組の暁天講座に投稿(数か所訂正あり)したものです。2年前のこの時もコロナのために紙面になったからです。

▼長浜教区青少幼年部主催のおえかきコンテストは次年度も予定されています。ある女の子から「ごえんさんは書いてへんな」(笑)と言われてしまったので次回は応募しようと思っています。

▼皆々様どーかまた続いてお待ちしています。合掌



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