テーマ 泉惠機先生 三回忌 〜武内了温師から〜(229座)

2023(令和5)年4月1日


表紙

清休寺に生まれ
小さい頃から
ここを飛び出すことばかり考えていました。
しかし、月日が流れ
歳を重ねれば重ねるほど
いつも私は門徒さんから
ずっと願われていた住職であったと…
今にして思うのです。

▼以前、五村別院で泉惠機先生が
こんなふうに語られました。
四月十七日、三回忌をお迎えします。
今も私の胸に刻まれている金言です。(住職記)

テーマ 泉惠機先生 三回忌 〜武内了温師から〜  住職記

■今月4月17日は泉惠機先生(長浜教区清休寺前住職 上山田)(以下「泉先生」)の三回忌です。今号はその泉先生が「私にとっての師」と敬われた真宗大谷派の解放運動の先駆者である武内了温氏師のことを書かせて頂きます。
■今年、武内了温師は還浄から丸55年になりますが、「旃陀羅(せんだら)解につき布教使諸君に訴ふ」武内了温(『真宗』1932年4月号)で次のように語られています。 

「布教使諸君よ、決して旃陀羅語を封建時代より継承せる賤称に約すこと勿(なか)れ。その一語をきくことは、被差別者の血の涙をわかすことである。自己自身を葬ることである。

■これは布教使たる僧侶に対して、このことだけはという悲願であり、そしてその後次の言葉が結びにあります。

旃陀羅は往生正機正客 

■旃陀羅とは『仏説観無量寿経』の中にある差別を受けている人ですが、旃陀羅は賤称ではない。旃陀羅こそ阿弥陀如来の救わずにはおれない誰よりもお目当て(正機正客)であると教えられます。
■親鸞聖人は『仏説観無量寿経』を『無量寿仏観経』と逆にされ、私が無量寿仏(阿弥陀仏)を観るのではなく、阿弥陀仏が私を観る、どこまでもこの私に寄り添ってくださると頂いておられます。
■そして親鸞聖人の次の文章があります。

たとえば一人して七子あらん。この七子の中に、 (一子) 病に遇えば、父母の心平等ならざるにあらざれども、しかるに病子において心すなわち偏に重きがごとし。『教行信証』(真宗聖典260頁)

■七人の子に対して親の心は平等なのです。それは間違いないのですが、もし一人の子が病に苦しむならば、親の心配はその子へ一心に注がれ、その時その子への親の思いは他の誰よりも重いのです。同じく阿弥陀如来の心は絶対平等であるのですが、親鸞聖人は『仏説観無量寿経』を『無量寿仏観経』と引っくり返してまで、阿弥陀如来の一心は、苦しむ子のために、どこまでも寄り添うと教えられます。
■今もなお、差別にもがき苦しむ人たちこそ、武内了温師の訴えの通り、阿弥陀如来の「旃陀羅は往生正機正客」です。さらに親鸞聖人は次のように教えられます。

当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子(みこ)なり。
『教行信証』(真宗聖典267頁)

わざわざ「子」の文字に「御」を加え「みこ」とひらがなを振っておられます。その願いはすべてのいのちが阿弥陀如来の「御子」であるからです。『無量寿仏観経』において旃陀羅こそ阿弥陀如来の大切な「御子」です…。

追記

■また、泉先生は武内了温師との若き日の思い出を次のように語っておられます。

武内さんは『浄土三部経』でもゆっくりしか読みません。そして、お経の途中で「ちょっと待て」と止めて、「ありがたいのう、どうじや」と言って後ろを向かれるのです。そして後ろにいた私に向かって「おい、ここの意味がわかるか」などと言うわけです。私は、しまった、こんなところに座らなければよかった、どう答えたらいいんだろうと思っていたら、「これはこういうことなんや。ありがたいのう」と、武内さん自身が、自分が読経しているそのお経の言葉にすごく感動していて、涙を流しておられるのです。そういう読み方をするんですね。
『身同』第37号(東本願寺発行)

■これが泉先生の心に刻まれている武内了温師のお経の読み方です。現在の真宗大谷派をはじめ、仏教界の一方通行の経典読誦ではなく、それは対話なのです。武内了温師は『浄土三部経』の阿弥陀如来との対話に感動し、涙を流して「旃陀羅は往生正機正客」と確かに頂いておられるのです。


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