滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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●テーマ お仏壇から「お内仏」(232座)

2023(令和5)年7月1日

表紙
蓮如上人がおっしゃられたことでよく知られている言葉があります。「聖教はよみやぶれ」、その対句として「本尊は掛けやぶれ」と言われる言葉です。
(中略)
みなさんのお家にも掛軸があるかと思います。あの掛軸がやぶれるということがありますか。引っ張らないかぎりは破れないですね。だから「本尊は掛けやぶれ」というのは、下げたままの状態にしていることをいうのではないのですね。「自分がお参りする時にだけ、名号を掛けなさい」ということです。本尊の掛軸は下げたままにしない。「お参りが済んだらすぐに巻き上げて、しまっておきなさい」ということです。
(中略)
蓮如上人は、用のない時には、つまりお参りする本人がいない時にはご本尊は巻き上げておくか、お内仏ですと巻き戸は閉めておくのだ、と。つまり自分を抜きに、仏さまということはあり得ないんだ、ということをお示しになられたのですね。骨董品なら、自分抜きでも成り立ちます。しかし、蓮如上人の教えられたことから言いますと、自分自身がいないところに、仏さまはいないのだということになります。
『本尊の意義をたずねて』平野修著
住職記
お仏壇から「お内仏」  

■「今なら本尊サービス中」と書かれたお仏壇のバーゲンセールの広告を見て、思わず大笑いをしたことを思い出します。勿論、お仏壇も大切なのですが、それでは逆さまです。
■私が浄願寺に来て間もない頃、こんなことがありました。「ごえんさん、仏壇をお洗濯させてもらおうと思うんや」と毎月の月参りの時にこう言われたのです。その瞬間に私から出たのは「それじゃ、しばらく休ませてもらい、本堂でお勤めさせて頂きましょうか」でした。それに対して「いやいや、来月も来てや」と言われたのです。一ヶ月後、お仏壇が無いのに…と思いながらお参りに寄せて頂くと当然いつもの場所にお仏壇はありません。ところが隣の床の間に本尊と法名軸がそれぞれ掛かってあるのです。その時のことが今も忘れられません。恥ずかしいことに、ご本尊よりお仏壇が主になっている姿がそこにありました。私自身、先のバーゲンセールの広告を笑えないのです。
■皆さまはいかがでしょうか。ついついご本尊よりも立派なお仏壇に目が行ったり、仏像にさえ重要文化財、国宝などと聞くとそちらの方に気持ちが奪われたりしないでしょうか。お仏壇をはじめそれらはみんな外側なのでしょう。やはり本末転倒です。
■真宗門徒はご本尊である阿弥陀如来が安置されたお仏壇を「お内仏(おないぶつ)」と呼びならわしてきました。そして何よりも「お内仏」の言葉の精神的な元は親鸞聖人の次のひと言にあります。

心の外に仏ましまさず
『教行信証』親鸞聖人著(真宗聖典242頁)

■お仏壇ではなく「お内仏」です。それは気持ちが外に外に向かう私たちに対して、「内」の一字が問いかけとしてあるのではないでしょうか。どこか私の心の外にいる仏ではなく、この私の心の内にはたらく仏なのです。
■表紙にある蓮如上人が教えられた

自分自身がいないところに、仏さまはいないのだ

ということを「お内仏」という言葉にいつも確かめてこられたのだと思います。
追記
■『大辞林』には「内仏とは在家で居室に安置した仏像。持仏。」と書かれています。そして湖北では各寺院の本堂の本尊とは別に「惣仏」(※蓮如上人の室町時代の農村である惣。阿弥陀如来絵像を指す)と、「家庭内の持仏」と区別をしてきたという歴史があります。区別と言っても別々ではありません。阿弥陀仏一仏です。
■また、表紙にある蓮如上人が

本尊は掛けやぶれ
『蓮如上人御一代記聞書』(真宗聖典868頁)

と言われる通り、掛け軸であるご本尊をやぶれるくらい掛けたり巻いたりし、お講の場が開かれていたのです。
■そこで湖北で一番に思い出されるお講は二十二日講です。下の写真のように
▲2007(平成19)年 相撲二十二日講より 北川薫様宅
お内仏と区別して荘厳(おかざり)されるのです。
■そして下の写真の矢印のカーテンのような白い布は金障子の代わりです。
▲2006(平成18)年 相撲二十二日講より 藤田清和様宅
法座が始まる時に開け、法座が終わると閉めるためにあります。(最近は省略しているところも多いのですが)それは表紙にある、

蓮如上人は、用のない時には、つまりお参りする本人がいない時にはご本尊は巻き上げておくか、お内仏ですと巻き戸は閉めておくのだということを真摯に実行しているのです。(※これは浄願寺同朋会で、ある門徒さんから聞かせて頂きました)

■もうひとつ湖北では、お仏壇はお洗濯とは言いますが、ご本尊はお洗濯とは言わず、「ご養生(ごようじょう)」と言います。
■本尊とは本当に尊い物ではなく本当に尊い事であるとよく教えられました。今回確かめさせて頂きました以上のことを最後、次のように整理させて頂きます。

本当に尊い物…お仏壇…外…お洗濯…
自分抜きでも成り立つ

本当に尊い事…お内仏…内…ご養生…
自分抜きでは成り立たない
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