本山にお参りすると、二つの巨大な寺院建築を目にすることができます。向かって右側のひときわ大きな建物は御影堂で、宗祖親鸞聖人の御真影を安置しています。左側には、阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂があります。
御影堂、阿弥陀堂の両堂は、明暦四年(一六五八)の本格的な建立以来、度重なる大火によって焼失しては再建することを繰り返してきました。幕末の動乱の中、元治元年(一八六四)に起こった蛤御門の変(禁門の変)によって類焼した時も、両堂の早期再建が、宗門内の人々の強い願いとなっていました。
再建工事は、明治一三年(一八八〇)に至ってようやく始まりました。全国からたくさんの懇志が寄せられ、工事に携わる人員も続々と集まりました。それでもまだ深刻だった財政難を打開するため、「相続講」という組織も新たに設けられました。相続講は、念仏の教えの相続と、本山の護持を意図して、今日まで続いています。
世界最大級の木造建築物とされる御影堂、及び阿弥陀堂には、各地から集められた巨木が数多く使われています。用材の搬出の際には、引き綱が切れるなどの事故で、多くの犠牲者が出ることもありました。そのため、より強い引き綱を求めて、女性の髪の毛と麻を撚り合わせて編まれたのが「毛綱」です。当時全国から五十三本もの毛綱が寄進され、最大のものは長さ一一〇メートル、大き四〇センチ、重さが約一トンもありました。現在雨堂の間の渡り廊下に、その一本が展示されています。
↑毛綱
多くの人々の再建への篤い志と、惜しみない労苦によって、明治二八年(一八九五)に現在の両堂が完成しました。本山両堂の再建は、まさに門徒の総力を結集した大事業だったのです。
↑『真宗入門Q&A』(大阪教区)より引用
▼住職から最後のひと言
世界最大級の木造建築物、単に建物の大きさに驚くだけでなく、私たちの先達方がこうしてまで再建し、相続されてきたのは何故か…。その志願の大きさを考えたいと思います。
本年いよいよ両堂修復が始まります。