テーマ 2000年 報恩講(38座)

2000(平成12)年12月15日


表紙

おもい 鈴木章子

あーあ
思いどおりにならなくて
ほんとうに よかった
こんな汚ない根性で
思いどおりになっていたら
何人 人を殺したやら……
何人 敵をつくったやら……
今 太陽の下で
おしゃべりに夢中になれるのも
思いどおりにならなかったおかげ……

あ−あ
思いどおりにならなくて
本当に
よかったなあ……

癌だって
思いどおりにならない人生だもの
あたりまえ……
思いどおりにならぬ恩恵
よかったなあ……

『癌告知のあとで』鈴木章子著より

十二月三日(金)

午後二時からの初逮夜の後、親鸞聖人のご生涯が綴られた御伝抄 上巻 下巻の拝読です。

上巻は澤面宣了(当寺住職)です。↑下巻は樋上聡さん(東本願寺)です。

十二月三日(土)

午前六時からの晨朝の後、藤並慈さん(大阪 仏乗寺副住職)の御文の拝読、越本達了さん(大阪 専光寺副住職)の法話です。

↑藤並慈さんの御文の拝読です。

↑越本達了さんの法話です。
越本達了さんのひと言です。
あなたは一体、何を喜びとして生きていますか。

午前九時半からの日中の後、樋上聡さんの御文の拝読、前座法話、木村恵先生(山陽 興宗寺前住職)の法話です。

↑樋上聡さんの前座法話です。
樋上聡さんからのひと言です。
「段」というものが私たちの社会に於いていつも、差別を生み出しているのではないだろうか。

↑木村恵先生の法話です。
木村恵先生からは、迷信から正信ヘというテーマで、死を学び、生を知ることの大切さから話を始められ、前座法話を受けて、それに応える形で法話をして下さいました。表紙の言葉も先生から紹介されたものです。

午後一時からの大逮夜の後、黒田真さん(宮司町 満立寺副住職)の御文の拝読、曽我謙成さん(一色 等倫寺住職)の前座法話、木村恵先生の法話です。

↑黒田真さんの御文の拝読です。

↑曽我謙成さんの前座法話です。
曽我謙成さんからのひと言です。
「楽でよかったな」とよく耳にするけれど、果たしてそれでいいのだろうか。そして、私たちは本当に「楽」だけを求めている存在なんだろうか。

十二月四日(日)

午前六時からの結願晨朝の後、澤面章氏(当寺前住職)の御文の拝読、木村英淳さん(大阪 玉泉寺副住職)の前座法話、木村恵先生の法話です。

↑澤面章氏の御文の拝読です。

↑木村英淳さんの前座法話です。
木村英淳さんからのひと言です。
こうゆう場所では「共に生きる」について話をするくせに、私は一番身近な家族がその対象になったことが一度もない。

↑法話の後、本堂であずきがゆをいただきました。

午前八時半からの子ども報恩講です。その後、満日中に子どもたち、一人ひとりからの献花です。

午前九時半からの満日中の後、島野政友さん(大阪 貞正寺住職)の御俗姓の拝読、高山崇さん(山階町 円乗寺住職)の前座法話、木村恵先生の法話です。

↑島野政友さんの御俗姓の拝読です。

↑高山崇さんの前座法話です。
高山崇さんからのひと言です。
お寺はみんなの願いがいっぱいつまっている所なんてすね。

↑最後に、総代長の藤居英次さんから、お礼の言葉がありました。

その他にも、山階誠さん(泉町 了願寺副住職)杉田真一さん(大阪 即応寺衆徒)照井静志さん(長浜教務所)にもご参勤頂きました。こんなふうに、二〇〇〇年も親鸞聖人に集う報恩講に遇わさせて頂きました。準備から多様なお世話して下さいました総代さま方、婦人会の方、子ども報恩講に際して、お菓子を下さいました藤居吉男様、そして皆さま方、ありがとうこざいました。

編集後記

▼「二十世紀はまさに戦争の世紀であったけれど、二十一世紀はどうか、平和でありますように…」とこの時期、こんな言葉をよく耳にします。それは、世界じゅうの人々が願ってやまないことだと思います。

▼ところで、哲学者であったカントは『永遠平和のために』という書物の中で、人類の歴史は紀元前かちずっと戦争の歴史であり、戦争こそが常時であり、平和は非常時であると述べられています。

▼二十世紀だけに限らず、人類の歴史はずっと戦争の歴史であったようです。今、二十一世紀が平和でありますようにと願う私たちにとって最も大切なことは、我こそは正義だと主張し、まわりと対立していく、そんな日ごろの在り方がいつも、戦争の歴史を生み出してくる根源だということを心に刻み続けていくことだと思います。

▼それにしても、私たちは「二十一世紀」を言い過ぎて、紀元前から向こうの歴史をついつい、忘れがちです…。


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