■結婚のことを「ハッピーエンド」や「ゴールイン」と呼ぶように、
現代は、それが人生の最大の目標になっています。
そのことを煽る、流行の歌、映画、小説、テレビドラマ、
また、バレンタインデー、ホワイトデー、クリスマス等の国民的行事も、
ほとんどは恋愛がテーマです。
■しかし、思えば恋愛ほど独占欲、支配欲が強いものはないと思います。
相手を大事に思うよりも、相手を求める自分を大事に思うのであり、
それは、自己愛の変形に過ぎないのではないでしょうか。
だから、その愛が報われないと途端に、相手を恨むことになり、
時には殺意に及ぶことさえあります。
そして、これは何も男女間のことに限らず、
私たちは、親子、兄弟、友達とあらゆる間柄において、
いつも、自分の思いを相手に押しつけているだけなのかもしれません。
■悲しいかな、私たちは、
親子であっても、兄弟であっても、友達であっても、恋人同士であっても、
本当は誰ともわかり合えないのではないでしょうか。
本当に愛することは出来ないのではないでしょうか。
そして、そのことは、
誰に言われるまでもなく、皆が心の深いところで感じていることだと思います…。
■以前、本夛恵先生が、このように話されました。
親鸞聖人は、私たちに、人間であることの「喜び」よりも、
むしろ、人間であることの「悲しみ」を教える。
■大切なことは、その事実をしっかりと受け止めることではないでしょうか。
そのような、人間であることの「悲しみ」に立って、
語りかけてくるこんな言葉があります。
愛することの出来ない自分自身をどれだけ深く知らされているかという、その者だけに本当に愛するっていうことが始まる(『愛について』竹中智秀講述)
■本当に愛するということは、
「ハッピーエンド」や「ゴールイン」という「喜び」への「終着」ではなく
「悲しみ」からの「出発」と教えられます。
1、私の親の世代は、
「結婚するまで、相手の人とは数回しか会っていない」
というのが珍しくもなく、むしろ普通だったそうです。
考えてみると、昔の人たちは、
決して結婚が人生の最大の目標ではなかったということですよね。
2、悲しいかな、私たちは、
親子であっても、兄弟であっても、友達であっても、恋人同士であっても、
本当は誰ともわかり合えないのではないでしょうか。
本当に愛することは出来ないのではないでしょうか。
そして、そのことは、
誰に言われるまでもなく、皆が心の深いところで感じていることだと思います…。
と、住職記に書かせて頂きましたように、
私の中にも、そのような「孤独感」となって、心の深いところに促してくるものがあります。
そしてその感覚こそ、この私に、より確かな出会いというものを求めさせるのです。
親鸞聖人はそれを「浄土の慈悲」という言葉で教えてくださいます。(真宗聖典628頁)
実は、そのはたらきだけが真実なる慈悲(愛)であると思います。
「Love is real, Real is love」
これはジヨン・レノンの『LOVE』という歌の最初の言葉です。
やはり、現実的、本当の、という意味の「real」がキーワードであると思うことからも、
今回のテーマとさせて頂きました。