↑『ブッタとシッタカブッタ1』小泉吉宏著より
成功しか求めない私の心が
私をこんなにも窮屈にしていた
■あなたは、「大人」という生き物をどのくらい知っていますか?。生まれてから成長するにつれて、知恵、分別がつき、自分の価値観で懲り固まり、それが絶対であると信じて疑わない生き物のことをいいます。
■そんな彼らの価値観を一言で言うなら、
自分たちに従う者は「善」、
そうでない者は「悪」なのです。
■彼らのつくる世界を「世の中」とか「世間」とか「社会」とか「体制」と呼びます。
「世の中に役立つ人になれ」
などという言葉に代表されるように、やはり、その世界に合うか、合わないかで人の値打ちを決めるのです。
■それにしても、何故こうなるのか理解できません。愚かというしかありません…よね。
■…でも、私はどうだろうか。果たして私は違うと言えるだろうか。よくよく考えてみると悲しいことに、私もすっかり、「大人」という生き物になっていたと思います。
■なぜなら、私もまた、私中心に世界をつくり、
それに合う者は「善」、
そうでない者は「悪」なのです。
「反体制」などと自負しながら、自分自身が「体制」になっているのです。
■実は、
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。」(歎異抄第十八章)
という言葉をはじめ、善悪というものを根底から問い返されたのが親鸞聖人であり、
今、「大人」である私たちこそ、そんな価値観の転換をあらゆる人から迫られているのだと思います。
■例えば、表紙のマンガもそうです。
成功は「善」、
失敗は「悪」と、それしかない「大人」に対しての、子どもの偉大さが表現されています。
■また最近、こんな歌を耳にしました。
せかいを変えるのさ
せかいを駆け抜けろ
せかいをブチ壊そう
せかいを変えるのさ
『ROCKs』大黒摩季より
■そのせかいとは、
「常識人間」
「合理的社会」
「固定概念」
そして最後に「自分自身」と歌っています。
上の文章は、今年の5月3日、花まつり子ども大会(於長浜別院)へ、浄願寺日曜学校から参加した、松宮さんの感想文です。
「当らなかったけど、たのしかったです。」
ここにも、「大人」という生き物が聞かねばならない言葉があります…。
※よろしければ、「あなたも「大人」ですか 2(35座)」もご参照ください。